SEED FREEDOM観ましたが、書きたい事がいろいろ出てきちゃったので単独で書いちゃってます。
X(Twitter)で書くと長くなりそうですし。
あ、批判が多いので、気になる方は閲覧しない方が良いかと思います。
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前提知識としてSEEDは内容をある程度知っている程度ですが、この映画は個人的には好みではなかったですね。
「定められた運命に従う事で差別のない平和な世界が訪れる」に対して「選ぶ自由が大切。あと愛」みたいな理想論で終わる事自体は別にいいと思うんですが、ただそこに至るまでの心の動きがないんですよ。
(Destinyでやったでしょ、というのは置いといて)
私はガンダムUCの「それでも」や「ラプラスの箱を公開して新しく生まれる未来を信じる」という理想論は好きなんです。
これは、バナージとミネバがそれぞれいろんな人と出会って、大人の話を聞き、悩み、ただの理想論であることを知りながらも自分で選んだ。という経緯がOVA7本にわたって描かれていたからだと思うんです。
それと比較すると、映画ではラクスは初めから自分の正しさを失わずそれを貫き通し、だれもそれを否定せずに悩むこともなくそれに従っているように見えるんですよ。
なので、主人公側は映画を通してだれも心が動いてないように思いました。
あ、キラは悩みがあったけど吹っ切れましたかね。
とはいえ、准将クラスがあのメンタルで軍隊やってたのは不安になりますが…
あのメンタルでも准将をせざるを得ないほど人材がいないのか、ラクスの権力が強すぎるのか。
…どちらだとしてもやばい世界なのは変わらないかしらん。
閑話休題。
なので、この映画は「自分たちの正しさを貫いて敵を倒しました」で終わってしまうんです。
映画前後でキラが若干変わった位じゃないですかね。
結局、敵からの影響を受けることなく、ただ倒したと。
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あぁ、ここまで書いて気が付きました。
「主人公側が絶対に正しくぶれない勧善懲悪もの」の構造だから好きじゃないのか。
舞台や内容は勧善懲悪にできないはずなのに、主人公の正しさが揺らがないし、だれもそれを否定しないのが好きじゃないのだなぁ
とはいえ、お祭り映画として考えれば、主人公サイドの正しさは揺るがずに敵側がそれに影響を受け揺らぎ、最終的に主人公側の正しさに負ける。というのは間違いないでしょうね。
ちゃんとそれぞれに活躍の場が与えられましたし。
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追加でいろいろ書くと。
個人的には、なんというか人間ドラマが全て言葉と直結してるので薄っぺらく感じちゃいましたね
まぁ諭す方も諭される方も若い人しかいないなからなぁ
あとは、敵の特殊能力への対処がギャグなのは好きじゃない、というか嫌いに近いです。
これを許せば「都合のいい描写」すら不要ですからね。
特にステラはひどすぎでしょう。
シンはその闇を受け入れ乗り越えていた、という形の方が断然よかったでしょうに。
まぁ1部隊が複数艦を所持した国家レベルの軍隊とやりあえる戦力を持っているという時点で半ばギャグなのかもしれませんが。
マイティストライクフリーダムとか、戦闘面だけで見ればサイコフレームなみ、下手すると理屈が分かっている分サイコフレーム以上に危険な存在だと思うのですが、これからも運用していくつもりでしょうからね…
まぁこの形であれば続編は何度でも作れるでしょうから、いずれ封印するシステムができるかもですね
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